「縄文人は糖質を多く含むドングリを主食にしていた」の真相
✳️【ドングリは祖先の主食だった】
縄文人は「森の文化」と呼ばれます。実際、当時の日本は緑の森に覆われていました。西日本は常緑樹の「カシ(樫)」が多く、東日本は落葉樹の「ナラ(楢)」が多かったようです。英語ではそれらを総称して、「オーク(Oak)」と呼んでいます。一説には、世界に200種から400種のオークがあり、そうした木の実を「ドングリ」と呼んでいるのです。
『ドングリと文明』(ウィリアム・ブライアント・ローガン著、山下篤子訳、岸由二解説、日経BP社、2008年刊)という本によれば、一本の木から平均して300万個近くのドングリがとれるといいます。この本では、オークの実がなって落ちてくる様子を「ドングリが降る」「豪雨のようにドングリが降る」と表現しています。(中略)
縄文時代には、ブナ科のシラカシ(白樫)、アラカシ(粗樫)、カシワ(柏)、コナラ(小楢)、ミズナラ(水楢)、クヌギ(橡)などがあったことがわかっています。また、クリやクルミの実も発見されています。有名な青森県の三内丸山遺跡では、クリの実が見つかっただけではなく、クリの栽培がおこなわれていたこともわかっています。
そうした実(ドングリ)には多くの糖質が含まれていて、コナラでは77.8%、アラカシでは75.5%、クヌギでは、74.3%も含まれています。ちなみに米(玄米)では73.8%です。
ドングリはアクが強かったり、食べるのに手間がかかったりするものが多いのですが、米(玄米)と同等の糖質を含んでいるため、古の人々が重要な食料にしてきたというのもうなずけます。その他、山イモのようなイモ類や彼岸花の根などから、かなりの糖質をとっていたことがわかっています。また、ドングリ類はきわめて脂質が少ない食品であることも付け加えておきます。
動物性の食品としては、魚介類を中心として、シカやイノシシ、あるいはリスのような小動物が食べられていましたが、まれな食べ物だったようです。先に紹介した本の著者だけだはなく、考古学の研究者のなかには「ドングリが主食だった」と断言する人も少なくありません。 幕内秀夫〈世にも恐ろしい「糖質制限食ダイエット」〉より
✔️【真相〈半分正解〉】
「人類の祖先はかつてドングリを主食にしていた」──これは半分正解と言えます。
今から約1万5000年前、肉食主体の雑食生活を続けていた祖先はピスタチオと出会います。
ピスタチオは脂肪56%、炭水化物21%、タンパク質17%と、それまでの食生活の代用として最適でした。
のちに祖先はドングリも食料にし、ヤギやヒツジを非常時の食料として身近に置くようになりました。
【ドングリ時代は2000年で終わる】
しかしドングリを主食にした生活は2000年ほどで終わりを迎え、メソポタミアの地に向かった一団がいたそうです。そして彼らがそこで出会ったのがエンマー小麦だったのです。
このように、祖先がかつてドングリを主食にしていたことは事実です。
が、それはわずか2000年ほどで終わり、それ以前はずっと肉食が主体だったのです。
【虫歯率が低かった北海道の縄文人】
最後におもしろいデータを紹介します。
新潟看護大学の藤田尚准教授の調査によると、縄文人の虫歯率は8.2%で、原因はドングリやクリなどの糖質にあったそうです。
一方、同じ縄文人でも、北海道の虫歯率は2.4%で、環境的にドングリを取りづらかったため、狩猟と漁労の2本柱になっていたことが虫歯率の低さの理由と考えられています。
このように同じ縄文人でも、ドングリを主食にしていた人たちもいれば、肉や魚を主食にしていた人たちもいたというわけなのです。
【まとめ】
●祖先がかつてドングリを主食にしていたことは事実だが、「一部の人たちが短期間だけそうしていた」というだけのことにすぎない。
🏥国民病の糖尿病。インスリンなどの標準治療で治療するのが常識とされていますが、標準治療は大変危険なものなのです。糖質制限をぜひご検討ください。
糖尿病は標準治療や人工透析では治らない!糖質制限を知ってください!
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