メシアの「知」の冒険(ムラゴンブログ編)

「超常現象や陰謀論の真相を暴いた」と称する懐疑論者と呼ばれる人たちがいますが、彼らは世紀のペテン師軍団なのです。このブログは彼らにほえ面をかかせ、総土下座に追い込むことが目的です。

「坂本龍馬が人気なのは司馬遼太郎のフィクション小説のおかげ」の真相

メシア@永遠の真実追及者



 「坂本龍馬がここまで有名に、ここまで人気になれたのは、すべて司馬遼太郎のフィクション小説のおかげなのだ」という意見があります。


 しかし、これは浅薄な意見なんです。


 詳細を知りたい方だけ、この記事をお読みになってください……。






 この記事を書いた私は……


 ●人気ブログランキングとにほんブログ村のオカルトランキング最高1位


 ●同じくにほんブログ村の医療ランキング最高4位


 ●ライブドアブログの歴史ランキング最高2位


 ●エキサイトブログの南京大虐殺タグ・人気記事ランキング1位


 ●グーグル検索結果3位以上の記事100本以上


 ……という者です。 


 ちなみにこの記事で以下のようなことがわかります。




 ●坂本龍馬が魅力的な人物だったことは間違いない




 これをわかりやすく説明します。


 この記事を読むことで1つ上のレベルの知識人になり、周囲に差をつけることができるようになれると思うので、ぜひ最後まで読んでください!







【「坂本龍馬が人気になったのは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』のおかげ」という主張】

 Mr.都市伝説・関暁夫さんは著書『都市伝説3』の中で次のようなことを言っています。


 日本の歴史上の人物で、最も人気がある人……。それは坂本龍馬だと断言して間違いないでしょう。


 昭和の途中ぐらいまではそこそこの存在だったのに、今やあっちこっちの町が龍馬との接点を探し出して、町おこしに使おうと必死です。


 それだけ客を呼べる存在ということですね。


 龍馬がここまで人気になったのは、作家・司馬遼太郎が『竜馬がゆく』で書いた龍馬像が、あまりに魅力的だったからです。


 つまり、小説のおかげってことです。


 なにしろ、それまでの龍馬は、そんなに優遇される存在ではなかった。


 例えば、妻・お龍さんのお墓は、今は横須賀の信楽寺の中の目立つ一角にあるのですが、平成10年まではなんと寺の外、門の横にあったんです。


 「檀家じゃないから」というのがその理由だったとも言われますが、門の外って随分な扱いですよね。


 司馬さんのおかげで龍馬の知名度と人気がグンと上がり、平成10年にやっと寺の中のいい場所に移されたんです。


 まあ、司馬さんが書いたのは、あくまで小説であり、史実をベースにした創作。


 だから「龍馬」ではなく「竜馬」なんですが、もう世の中、そんなこと関係なくなっているようで……。


 また、半藤一利さんと出口治明さんは『明治維新とは何だったのか』の中で次のようなことを言っています。


出口 話は前後しますが、そういう幕末における坂本龍馬の存在はどう位置付ければいいのでしょうか。


 龍馬が結びつけた薩長は暴力革命に向かいましたが、その一方で、船中八策は新しい国家建設に向けたアイデアのひとつでした。


 でも龍馬がここまで有名になったのは、司馬遼太郎さんのペンの力によるものですよね。


半藤 たしかに、司馬さんの『竜馬がゆく』がなければ、いまだに単なるチンピラ扱いじゃないですか。


 私が子供の頃、戊辰戦争や明治維新を描いた映画がよくありましたが、龍馬が主役になる映画はひとつもありませんでした。


 だいたい、主役は桂小五郎と西郷さんでしたね。


 しかし、龍馬が幕末のヒーローのひとりであることは間違いありません。


 文久2年(1862年)に土佐藩を脱藩していた慶応3年(1867年)に京都の近江屋で殺害されるまでのほんの5年のあいだに、まさに超人的な行動力を見せたと思います。


 ただし、薩長同盟にしろ船中八策にしろ、坂本龍馬自身の発想したものではありません。


 ほかの人のアイデアをそっくりそのままいただいているだけで。







【龍馬のカリスマ性】

 龍馬を語る際に必ず言われるのが……




 「龍馬がここまで有名になれたのは、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』のおかげだ」




 ……というもの。


 たしかにそれは事実だと思います。


 しかし、司馬遼太郎の創作うんぬんという話は横に置いておくとして、私は残された資料などから、龍馬が情熱的で、ひょうきんもので、それでいて聡明で、非常に魅力的な人物だったことは間違いないと思っています。


 龍馬の死後、土佐藩大監察の佐々木高行が海援隊のリーダーになったんですが、次第に求心力を失っていき、菅野覚兵衛の派と長岡謙吉の派に分かれていきました。


 この例で龍馬が傑出した能力、人望、カリスマ性を兼ね備えた人物だったことがわかります。







【実現しなかった蝦夷地移住計画】

 また、龍馬は生前、徳川幕府から弾圧されていた浪士たちの仕事を与えるべく、蝦夷地移住計画というものを構想していました。


 しかし、1回目は仲間の北添佶摩(きたぞえきつま)が池田屋事件で殺されるなどのトラブルが発生して中止に。


 2回目は船が海難事故にあって断念。


 結局、多くの人々を救うと同時に、日本の国力をも高める壮大な計画は実現しなかったんですが、龍馬の日本の未来を想う温かさが伝わってきます。







【龍馬の妻になるはずだった女性】

 また、龍馬の妻といえば言わずと知れた楢崎龍ですが、実は龍馬は楢崎龍と出会う前にとある女性と婚約していたんです。


 その女性とは千葉佐那子(ちばさなこ)といい、剣が非常に強く美人だったため《千葉の鬼小町》と呼ばれていました。


 しかし、時代の流れに翻弄されて結婚は実現せず、龍馬は楢崎龍と結婚することになったんです。


 ちなみに佐那子はなんと生涯独身を貫き、59歳でひっそりと他界しています。


 そんな佐那子の墓石の裏には[坂本龍馬室]と刻まれているそうです。


 《室》とは《妻》という意味。


 これぞ龍馬がメチャクチャ魅力的な男だった動かぬ証拠と言えるでしょう。


 たしかに明治維新はフリーメーソンの謀略であり、龍馬もフリーメーソンに利用された人間の1人ではありますが、龍馬ファンの方は肩を落とす必要はありません。


 龍馬は充分ヒーローにふさわしい人間だったんですから。






 最後までお読みいただきありがとうございます。感想をいただければ励みになります。 


 以下の目次に記事をまとめたので、興味がある方は併せて読んでみてください。