メシアの「知」の冒険(ムラゴンブログ編)

「超常現象や陰謀論の真相を暴いた」と称する懐疑論者と呼ばれる人たちがいますが、彼らは世紀のペテン師軍団なのです。このブログは彼らにほえ面をかかせ、総土下座に追い込むことが目的です。

「ヘブライ文字が書かれた八咫鏡の出所は竹内家である」への反論

メシア@永遠の真実追及者

 

 天皇はおろか、誰も見たことがないとされる三種の神器の1つ、八咫鏡。
 

 

 その八咫鏡の裏にはヘブライ語が書かれているという伝説があるのですが、懐疑主義団体のASIOSは「竹内家の創作だ」と言っています。
 

 

 しかし、これは浅薄な意見なんです。
 

 

 歴史の真実を知りたい方だけ、この記事をお読みになってください……。






 この記事を書いた私は……


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 ……という者です。 


 ちなみにこの記事で以下のようなことがわかります。




 ●ヘブライ語が書かれた八咫鏡は竹内家の創作などではない




 これをわかりやすく説明します。


 この記事を読むことで1つ上のレベルの知識人になり、周囲に差をつけることができるようになれると思うので、ぜひ最後まで読んでください!







【ヘブライ文字が書かれた八咫鏡の伝説】

 懐疑論者の藤野七穂さんはASIOSの『「新」怪奇現象41の真相』の中で、ヘブライ文字が書かれた八咫鏡の伝説を次のように紹介しています。


 天皇家に伝わった「三種の神器」のひとつに「八咫鏡」がある。



 伊勢神宮(内宮)の奥所に納められ、天皇はおろか誰も見た人物はないままに1000年以上にわたって守り伝えられてきたといわれている。



 それが明治時代になって初代文部大臣・森有礼(もりありのり)がこの鏡を見たと主張した。



 そればかりではなく、なんと鏡の裏側にはヘブライ文字が刻まれていたとまで暴露したのである。



 そのため、森文相は暗殺されてしまった。



 昭和に入って、キリスト教系のホーリネス教会を率いた中田重治(なかたじゅうじ)は、尋ねてきた友人の左近義弼(さこんよしすけ)青山学院教授から重大な秘密を告げられたという。



 ヘブライ語の日本における権威であった左近が宮中にあった八咫鏡(といっても伊勢神宮の模造鏡)を調査したところ、裏側にはヘブライ文字で、「我は有りて在る者なり」と刻まれていたというのである。



 さらに中田と同じ頃であろうか。八咫鏡の裏側(以後、八咫鏡背)を写し取っていたという人物が現れる。



 神政龍神会という宗教結社を率いた元海軍大佐の矢野祐太郎である。



 矢野は伊勢神宮宮司を口説き落とし、ひそかに八咫鏡から写し取っていたのだとされる。



 戦後まもなく「八咫鏡背のヘブライ文字」説が中田の教え子によって発表された。



 昭和28(1953)年1月26日には日猶懇話会に出席した三笠宮がこれを調査すると発言したことが、英字新聞にスッパ抜かれた。



 さらに三笠宮には昭和55年になって、矢野が写し取っていた八咫鏡背の図も渡されたという。



 しかしその後、三笠宮のリアクションがないことから、「八咫鏡背ヘブライ文字説」は本当だったのではないかといった憶測がされてもいるが、ことの真相は未解明のままである。







【藤野七穂の反論】

 これに対して藤野さんはこう反論しています。要約します。




 ●森有礼の暗殺事件と八咫鏡はなにも関係がない。


 ●八咫鏡は伊勢神宮内宮の奥深くに安置されており、内宮に行ったことがない森有礼が八咫鏡を見れるわけがない。


 ●八咫鏡の話は極秘情報だというのに、左近博士も中田夫妻もすぐに人にしゃべってしまった。口が軽すぎやしないか?


 ●天津教の竹内義宮と、天津教の外郭団体の会長だった矢野祐太郎によると、八咫鏡の裏に書かれていたのは実はヘブライ文字ではなく神代文字で、神代文字の1つであるヒフ文字で解読したという。しかし、天津教関係者がいずれも図の公表前に解読していた事実は、八咫鏡背図の出所が竹内家であることを物語っているのではないだろうか。






【八咫鏡を見たことがある人はけっこう多くいると思われる】

 「八咫鏡は天皇はおろか、今まで誰も見たことはない」──とされていますが、現実的にそんなことあるわけありません。


 八咫鏡の制作にたずさわった人たちや、八咫鏡を伊勢神宮に運んだ人たちなどがいるわけですから。


 そんな八咫鏡にはレプリカがあり、明治時代まで気多大社と白山神社に祭られていました。


 それには文字のようなものは見受けられないのですが八角形で、研究家たちが著書の中に掲載しているヘブライ文字が書かれた八咫鏡の写しと形がそっくりです。


 普通、鏡といえば円形のものをイメージすると思います。八角形の鏡など実物を見たことがない限り、または実物を見たことがある人から話を聞いたりしない限り、イメージしにくいはずです。


 それが各地にあるわけなんですから、八咫鏡を見たことがある人、または見たことがある人に話を聞いたことがある人というのは、けっこう多くいるのではないでしょうか?






【森有礼も矢野祐太郎も八咫鏡を見ていた】

 これで答えが見えたはずです。


 森有礼も矢野祐太郎も間違いなく八咫鏡の実物を見たことがあるんです。


 矢野祐太郎は元日本海軍の大佐であり、それほどの人物に幾度も「見せてくれ!」と頼み込まれたら、伊勢神宮側も断りきることはできなかったのではないでしょうか?


 森有礼にいたっては矢野祐太郎以上の超大物政治家です。ひょんなことで八咫鏡を目撃する機会に恵まれたとしても、なんら不思議なことはないでしょう。


 藤野さんは




 「森有礼は伊勢神宮内宮に行ったことがないから八咫鏡を見たことがない」




 で終わらせていますが、これだけでは説得力に欠けることはアホでもわかるでしょう。







【竹内義宮の主張を受け入れるしかない】

 また、藤野さんは竹内文書否定派なので、神代文字に関しても否定派なのだと思われます。そのため




 「八咫鏡の裏に書かれてある謎の文字を神代文字で解読した」




 という話自体が受け入れられないのでしょう。


 しかしほかの記事で説明したように、神代文字が漢字伝来以前から日本にあったことは事実です。


 その神代文字の最高権威である竹内義宮が「神代文字で解読できた」と言っている以上、我々はそれを素直に受け入れるしかないと思うのですが?






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 以下の目次に記事をまとめたので、興味がある方は併せて読んでみてください。