本能寺の変・黒幕勢力の中心人物は秀吉だった

本能寺の変・黒幕勢力の中心人物は、間違いなく秀吉でした。
歴史の真相を知りたくない方は、ぜったいにこの記事を読まないでください……。
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……という者です。
ちなみにこの記事で以下のようなことがわかります。
●秀吉が本能寺の変の黒幕である状況証拠の数々
これをわかりやすく説明します。
この記事によって1つ上のレベルの知識人になり、周囲に差をつけることができるようになれると思うので、ぜひ最後まで読んでください!
【本能寺の変・黒幕勢力の中心人物】
安部龍太郎さんや副島隆彦さんの弟子の田中進二郎さんなどは、「イエズス会、朝廷、足利幕府といった勢力が《打倒信長》のもとに自然と団結していった」と考えているようですが、さすがにそれは無理があると思います。
必ずまとめ役となる人物が、中心にドーンといたはずです。
私がそれこそが秀吉だったと見ています。
きっと秀吉は打倒信長に燃える各勢力とうまくコミュニケーションをとり、1つにまとめあげていったのだと思われます。
それに秀吉なら《信長暗殺を企てるような気骨ある人物》に当てはまりそうです。
朝廷は安心して信長暗殺を秀吉に一任したことでしょう。
しかし、これだけでは説得力に欠けるので、強力な状況証拠をいくつか挙げたいと思います。
【秀吉の陰謀の数々】
秀吉は山崎の戦い後、逆臣・光秀を倒して実績を掲げて清州会議の主宰をつとめました。
また、信長の葬儀では喪主に自分の養子の於次丸秀勝(おつぎまるひでかつ)を仕立て、自身は葬儀院長をつとめ、「自分こそが信長の後継者である」と天下に知らしめたんです。
実は信長には次男・信雄と三男・信孝という後継者がちゃんといたんですが、なぜか秀吉は織田家を再興させるような動きは見せませんでした。
さらに秀吉は山崎の戦いのあと塔の森というところで、正親町天皇の勅使である勸修寺晴豊と、誠仁親王の御使いである広橋兼勝の両公卿から太刀を下賜(かし)されています。
秀吉は朝廷からお墨付きを得たことによって信孝と同格になり、天下人になる資格を得たんです。
こうしたところからも、秀吉と朝廷が裏で結託していたことが伝わってきます。
【秀吉とイエズス会】
また、信長の死後のことではありますが、1586年、イエズス会のガスパール・コエリョが秀吉に宣教の許可を受け、さらに九州平定をお願いしています。
ちなみにその際、大友や有馬といったキリシタン大名たちが、秀吉に協力すると約束したそうです。
秀吉は朝廷だけでなく、イエズス会とも太いパイプでつながっていたんですね。
なにはともあれ、これだけの状況証拠が揃っていれば、秀吉こそが本能寺の変・黒幕勢力の中心人物だったことがわかったと思います。
最後に余談なんですが、『謎解き!伝説のミステリー』で秀吉黒幕説を推したゲストはトラウデン直美さんただ1人だけだった上、秀吉黒幕説の詳細にはほぼ触れられていませんでした。開いた口が塞がりません。
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