メシアの「知」の冒険(ムラゴンブログ編)

「超常現象や陰謀論の真相を暴いた」と称する懐疑論者と呼ばれる人たちがいますが、彼らは世紀のペテン師軍団なのです。このブログは彼らにほえ面をかかせ、総土下座に追い込むことが目的です。

明治の元勲や徳川慶喜が明治天皇にナメた言動をとっていた理由

メシア@永遠の真実追及者



 明治の元勲たちや徳川慶喜が、明治天皇のことを見下してナメていたことをご存じでしょうか?


 それには知られざる深い理由があるんです。


 詳細を知りたくない方は、ぜったいにこの記事を読まないでください……。






 この記事を書いた私は……


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 ……という者です。 


 ちなみにこの記事で以下のようなことがわかります。




 ●明治の元勲や徳川慶喜が、崇拝すべき明治天皇を見下していた理由




 これをわかりやすく説明します。


 この記事によって1つ上のレベルの知識人になり、周囲に差をつけることができるようになれると思うので、ぜひ最後まで読んでください!







【明治天皇をナメる明治の元勲たち】

 桂小五郎は手紙の中で明治天皇のことを「玉」と呼んでいました。


 つまり薩長は明治天皇のことを敬ってなどいず、倒幕のための駒にすぎないと考えていたんです。


 また、西郷従道は「台湾出兵を延期せよ」という明治天皇の命令を無視して出兵したことがあります。


 また、板垣退助は明治天皇の意に反して参議の職を辞したことがあり、黒田清隆と井上馨は明治天皇が労をねぎらうために開いた昼食会をすっぽかしたことがあります。


 また、山県有朋は軍の演習が終わったあと、野外の宴会を断った明治天皇に啖呵を切ったことがあります。


 それは怒鳴り合いに発展したのですが、最終的に明治天皇が折れたそうです。


 また、大山巌は満州軍総司令官の頃、山県有朋から伝えられた明治天皇の命令をやりすごしたことがあります。


 また、必ず起立しなければならない規則の天皇拝謁の場で、伊藤博文はただ1人剣を腰につったまま座り続けたそうです。


 そんな伊藤博文は明治天皇のことを《操り人形》と思っていたんです。


 ドイツ人医師、エルフィン・フォン・ベルツの日記から引用します。


 一昨日、有栖川宮邸で東宮成婚に関して、またもや会議。


 その席上、伊藤の大胆な放言には自分も驚かされた。


 半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤のいわく『皇太子に生れるのは、全く不運なことだ。生れるが早いか、到るところで礼式の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない』と。


 そういいながら伊藤は、操り人形を糸で踊らせるような身振りをして見せたのである。







【ナメられていたからこそ明治天皇は大室寅之祐ではない】

 加治将一さんは「だからこそ明治天皇の正体は大室寅之祐なのだ」と推察しているようです。『幕末維新の暗号』にこう書いています。


 彼らには、わだかまりが見られます。


 いずれも明治天皇の正体を知っていたとしたら、我らは田布施のひよっこに頭を下げるほどの腑抜けではないと、肚(はら)の中で思うのは合点の行く話です。



 私はそれはちょっと違うと思います。


 明治天皇の正体が本当に後醍醐天皇の血を引く大室寅之祐だったら、明治の元勲たちはそれなりの敬意を表したと思います。


 元勲たちが明治天皇をナメていたのは、明治天皇の正体が皇族の血など引いていない箕作奎吾だったからではないでしょうか?


 また、徳川慶喜のハリー・パークスに対する言葉にこういうものがあります。


 薩摩の極端な行動に不満の兆候がすでに出ている。


 私の方針は当初から、将来の政治形態に関する問題を平和的な方法で解決することであった。


 ミカドの御所を背後から攻撃するのは、見苦しいことである。


 ミカドは、彼らの手に落ち、導かれている子供にすぎない。(中略)


 今この瞬間、この国の政府がどこにあるのか、私にはわからない。


 名目上、それは若いミカドにあるように思われるが、私自身は、彼が派閥の単なる一員であり、彼の名で政令が出されても、実際には彼から発せられたものではないことを知っている。


 徳川慶喜といえば鳥羽・伏見の戦いの際、新政府軍の掲げた錦の御旗にビビッて逃げてしまうほどの天皇崇拝者です。


 その徳川慶喜が明治天皇のことを、こんな見下した言い方をしているんです。


 こうした点からも《明治天皇=箕作奎吾説》が補強されると思います。  






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 以下の目次に記事をまとめたので、興味がある方は併せて読んでみてください。