メシアの「知」の冒険(ムラゴンブログ編)

「超常現象や陰謀論の真相を暴いた」と称する懐疑論者と呼ばれる人たちがいますが、彼らは世紀のペテン師軍団なのです。このブログは彼らにほえ面をかかせ、総土下座に追い込むことが目的です。

江藤新平の佐賀の乱と西郷隆盛の西南戦争が起きた真の理由

メシア@永遠の真実追及者



 西南戦争をはじめとする士族たちの反乱はなぜ起きたのか?


 教科書には様々な理由が書かれていますが、真の理由は非常に意外なものだったんです。


 真の日本史を知りたい方だけ、この記事をお読みになってください……。





 この記事を書いた私は……


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 ……という者です。 


 ちなみにこの記事で以下のようなことがわかります。




 ●佐賀の乱と西南戦争には、ロスチャイルドと明治天皇がからんでいた




 これをわかりやすく説明します。


 この記事を読むことで1つ上のレベルの知識人になり、周囲に差をつけることができるようになれると思うので、ぜひ最後まで読んでください!







【士族の反乱】

 1874年から1877年まで、維新のやり直しを求める士族たちの反乱が起きました。その理由は…… 




 ●四民平等によって身分的特権を失ったから


 ●国民皆兵制によって軍事面での存在意義を失ったから


 ●廃刀令によって武士の象徴である刀を取り上げられたから


 ●築六処分によって経済基盤を失ったから




 ……などが挙げられていますが、1874年2月の佐賀の乱と、西郷軍と政府軍による日本最後の内戦・西南戦争だけは、違う理由が隠されていると見ています。 







【反乱の真の理由】

 佐賀の乱は江藤新平が、西南戦争は西郷隆盛が起こしたものですが、どちらもフルベッキ写真に写っている幕末の志士、明治の元勲です。


 加治将一さんは彼らが岩倉具視・大久保利通コンビ率いる明治政府に「明治天皇の正体をばらすぞ!」と脅し、明治政府は口封じのために江藤新平と西郷隆盛を討ったと唱えています。


 「そんなまさか……」と思われるかもしれませんが、私は充分ありえる話だと思います。


 というのも、あのアーネスト・サトウの言葉にこういうものがあるんです。


 西郷はとりあえず、自分の目的は自分の暗殺を企んだ者の処罰を要求するだけである。


 そう思われたいのだろう。


 しかしそれだけが西郷が行動を起こした本当の、そして唯一の動機であるとは到底信じられない。


 日本において、表向きの開戦の理由は、決して本当の理由ではない。







【欧化政策への不満】

 ところで、江藤新平の出身地である佐賀では当時、政府の欧化政策に不満を持つ憂国党という一派が形成されていました。


 欧化政策とは言うまでもなく《ロスチャイルド化政策》のこと。


 また、明治政府の陸軍大将だった西郷隆盛は1873年10月、岩倉・大久保に辞表を提出しています。


 そんな西郷隆盛を追うように江藤新平、板垣退助、副島種臣、後藤象二郎、桐野利秋、篠原国幹(しのはらくにもと)といったそうそうたる面々も政府を後にしました。


 彼らは幕末の頃はロスチャイルドに協力しており、明治に入ってからも岩倉・大久保コンビが推進するロスチャイルド化政策に従っていたのだと思われます。


 ちなみに造幣寮首長にはトーマス・キンダー、紙幣寮にはアラン・シャンドと、ともにイギリス人がついており、明治の通貨発行にロスチャイルドが深く関わっていました。


 しかし、江藤新平や西郷隆盛はしだいにそのやり方に疑問を持つようになり、政府を後にしたというわけです。


 その後も政府への怒りは消えることはなく……




 「岩倉と大久保の野郎、ロスチャイルドをバックに好き勝手やりやがって。明治天皇の正体をばらすぞこの野郎……」




 ……という感じになっていったのではないでしょうか?


 もしも明治天皇の正体をばらされたら、明治政府は一巻の終わり。危機を察知した岩倉と大久保は九州に政府軍を向かわせ、西南戦争へとつながる士族の乱が勃発したというわけです。

 
 ちなみに明治天皇の正体は大室寅之助ではなく箕作奎吾です。







【大久保利通の闇】

    


 半藤一利さんと出口治明さんは『明治維新とは何だったのか』の中で次のようなことを言っています。


半藤 そうですね。少なくとも明治新政府は大久保の作品です。


 たくさんいた志士たちをどんどん減らして、最終的には自分のデザインを受け入れる少数の者だけで政府を固めましたからね。


 しかし残念ながら明治11年(1878年)に暗殺されてしまいました。


 あのまま大久保中心の政権が続いていたら、どんな国家になったか。


 山縣有朋の出番はないでしょうから、軍事国家にはならなかったかもしれません。


出口 すると近代日本の歴史もずいぶん違ったものになったでしょうね。


半藤 そう思います。大事なところで大久保さんが殺されてしまったことで、結果的には軍事国家への道が開かれてしまったんですよ。


出口 大久保は日本の長い歴史の中でも数の少ないグランドデザイナーでした。


 また、倉山満さんは『日本史上最高の英雄 大久保利通』というタイトルの本を書いています。


 読んだことはないんですが、だいたい想像はつきます……。


 さて、半藤さんらが絶賛する大久保利通なんですが、実は大久保利通には次のような顔もあるんです。


 征韓論争の際、大久保利通は……




 「今は戦争をするときではない。内政に注力するべきだ」




 ……と言っていたというのに1875年、江華島に軍艦を送って武力衝突を引き起こしています。


 また、佐賀の乱終結後、無能と言われていた岩村高俊をわざわざ裁判官に抜擢し、江藤新平の話もろくに聞かずに死刑を宣告させ、その日のうちに斬首にしてしまいました。


 実はかつてから江藤新平は官吏が不正を働いた場合、国民がその官吏を訴えることができる法制度を確立しようとしていたんです。


 大久保利通にとってそんな江藤新平は邪魔な存在だったため、さっさと死刑にしてしまったというわけです。


 半藤さんらは、いったいなぜこんな人間を高く評価するんでしょうか?理解に苦しみます。






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 以下の目次に記事をまとめたので、興味がある方は併せて読んでみてください。