「竹内文書が偽書であることは狩野亨吉が明らかにしている」への反論

竹内文書否定派の常套句に「竹内文書が偽書であることは狩野亨吉の論文で明らかになっている」というものがあります。
しかし、これは的の外れた主張なんです。
竹内文書否定派は赤面必至の内容なので、ここから先は読まないことをオススメします……。
この記事を書いた私は……
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……という者です。
ちなみにこの記事で以下のようなことがわかります。
●狩野亨吉は竹内文書が偽書であることを明らかになどしていない
これをわかりやすく説明します。
この記事を読むことで1つ上のレベルの知識人になり、周囲に差をつけることができるようになれると思うので、ぜひ最後まで読んでください!
【狩野亨吉の『天津教古文書の批判』】
懐疑論者の藤野七穂さんはASIOSの『謎解き超常現象Ⅲ』の中で、
「竹内文書は狩野亨吉の検証で、明治以後の偽作であることが明らかになっている」
といったことを言っています。
《狩野亨吉の検証》とは要約すると次のような感じ。
●文体・用語・字体が新しい。
●竹内文書は後醍醐天皇を「96代」などとしているが、これは当時の数え方ではない。
●竹内文書は「尊治天皇」などと表記しているが、天皇の御名を天皇号に冠して表記する習慣はない。
●長慶天皇は「1392年49歳で崩御」としているが、実際は「1394年52歳で崩御」である。
●イザナギがイザナミより先に死んだことになっている。
【誤記があり、用語などが新しいのは当たり前のこと】
なにかの冗談でしょうか?
ほかの記事で説明したように、皇祖皇太神宮の歴代神主たちは竹内文書を書き改めて伝えていったんです。
書き改める際、なんらかの誤解をおかして間違ったことを書くことなどあって当たり前。ないほうが不自然です。
用語などが新しいのも、これもまた当たり前のこと。
たとえばその昔、「ラジオを聞きましょう」は
「ラヂオを聞きませう」
と表記していました。
これを現代の人たちが「書き写せ」と言われたら、ほとんどの人が現代風にわかりやすくするために「ラジオを聞きましょう」と書き写すと思われます。それと同じこと。
【狩野亨吉は竹内文書資料群の現物を見たことがなかった】
竹内文書否定派が権威付けに利用することが多い狩野亨吉なのですが、ここで大変残念な事実を紹介しなければなりません。
京都帝国大学の初代学長で、当代屈指の学識者だった狩野亨吉なのですが、なんと彼は皇祖皇太神宮に1度もおもむいたことがないんです。
さらに裁判の事情聴取で
「(竹内文書の)本物を見たことがあるか?」
とたずねられた際、「見たことがない」と答えているんです。
では狩野亨吉はなにを鑑定したのかといいますと、竹内文書の《写真》を《5枚》だけ鑑定し、それだけで竹内文書を「偽造」と結論付けたんです。
皇祖皇太神宮第67代管長・竹内康裕さんは言います。
狩野亨吉氏は京都大学の学長まで務めた人物です。
もし、本当に自らの意思で真贋を確かめようと思ったのであれば、きちんと現物を自らの目で見て確かめたはずです。
実物を見もしないで、出所すら曖昧な数枚の写真だけをよりどころに、真贋を論じるという学者にあるまじきを行為をしたのには、やはり何か訳があったのではないかと思います。
狩野氏は、警察・検察に利用されたのではないでしょうか。
ちなみに彼は、検察側の証人に立った昭和17年の12月に、頓死を遂げています。
裁判の結果が出る前のことです。
これで狩野亨吉の指摘に、説得力などないことがわかってもらえたと思います。
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以下の目次に記事をまとめたので、興味がある方は併せて読んでみてください。
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