西郷隆盛の写真が存在しない真の理由

フルベッキ写真論争、熊沢天皇ブーム、そして西郷隆盛の貌論争……。
実はこれらはすべて仕組まれたものである可能性があるんです。
詳細を知りたくない方は、ぜったいにこの記事を読まないでください……。
この記事を書いた私は……
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……という者です。
ちなみにこの記事で以下のようなことがわかります。
●西郷隆盛の写真が存在しないのは、イギリスの陰謀の可能性がある
これをわかりやすく説明します。
この記事によって1つ上のレベルの知識人になり、周囲に差をつけることができるようになれると思うので、ぜひ最後まで読んでください!
【フルベッキ写真ブームの真相】
《フルベッキ写真=幕末オールスター集合写真説》が最初に話題になったのは、島田隆資が『日本歴史』に論文を発表した1974年のことです。
つまり、昭和天皇のインタビュー記事がニューヨーク・タイムズに載った年のわずか2年後ということです。
私はこれは偶然ではないと思います。
なにを言いたいのかといいますと、島田隆資の正体はイギリスのエージェントであり、彼による《フルベッキ写真=幕末オールスター集合写真説》とは、日本人の関心をニューヨーク・タイムズの昭和天皇の記事からそらすために仕組まれたものだったのではないか?ということです。
島田隆資が論文を発表する100年以上前、イギリスは箕作奎吾に容姿が似た少年を探し出し、それを後醍醐天皇の血を引くのちの明治天皇・大室寅之祐としてフルベッキ写真の中におさめたんです。
そして箕作奎吾計画がばれそうになったときのための秘密兵器として、100年以上にわたって温め続けてきたというわけです。
【熊沢天皇ブームの真相】
また、昭和天皇は昭和40年に国民優生法を公布しています。
それについて水原紫織さんはこう考察しています。
ということは、昭和天皇が、「自身の知的発達に最も影響を与えたのは箕作元八」と述べたとき、それは「我々固体の発達には遺伝は重要」という優生学の認識に基づいていたのかもしれない、と筆者は考えます。
つまり、箕作元八は昭和天皇の父親だとほのめかしたのではないか──。
同じ頃、南朝の末裔を自称する熊沢天皇をはじめとする《自称・天皇》の大ブームが起きていました。
代表的な存在の熊沢寛道は、アメリカの雑誌『ライフ』の表紙を飾るほどの注目を集めていました。
私はこれも日本人の関心を《昭和天皇による国民優生法の公布からそらすために仕組まれたものだった》と見ています。
【西郷隆盛の写真が存在しない真の理由】
最後にもう1つ。
フルベッキ写真で1番物議を呼んだのは明治天皇=大室寅之祐説ではありますが、それと同じくらいの論争を巻き起こしたのが西郷隆盛です。
西郷隆盛の写真が存在しない主な理由として挙げられてきたのが……
「西郷家は隠密を生業とした家系なため、仕事柄自分の容姿や特徴を知られるのを避けていたから」
……というもの。
しかし、弟の従道やいとこの大山巌の写真がある以上、説得力はあまりないと思います。
そこで私が考えたのが、西郷隆盛の写真がないのもイギリスの陰謀だったというものです。
《フルベッキ写真=幕末オールスター集合写真説》が広まれば、明治天皇=大室寅之祐論争のみならず、西郷隆盛の貌論争も巻き起こることは自明の理。
それによってニューヨーク・タイムズの昭和天皇の記事のような、箕作奎吾計画がばれそうな要素からますます日本人の目をそらすことができる、というわけです。
まあ、真相はわかりませんが、もしも私のこの説が当たっていたとしたら、西郷隆盛の貌論争の中心人物となった加治将一さんは、まんまとイギリスに利用されてしまったことになります。
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以下の目次に記事をまとめたので、興味がある方は併せて読んでみてください。
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