フランス革命の教科書的な経緯(解説・山崎圭一)

「フランス革命って具体的にどういうものだったの?」
「一般的に言われている流れみたいなものを知りたい」
……この記事はこのような悩みを解決します。
この記事を書いた私は……
●人気ブログランキングとにほんブログ村のオカルトランキング最高1位
●同じくにほんブログ村の医療ランキング最高4位
●ライブドアブログの歴史ランキング最高2位
●エキサイトブログの南京大虐殺タグ・人気記事ランキング1位
●グーグル検索結果3位以上の記事100本以上
……という者です。
ちなみにこの記事で以下のようなことがわかります。
●フランス革命の教科書的な流れ
これをわかりやすく説明します。
この記事によって1つ上のレベルの知識人になり、周囲に差をつけることができるようになれると思うので、ぜひ最後まで読んでください!
【山崎圭一解説によるフランス革命】
一般的に言われているフランス革命とはどういうものなのか?
山崎圭一さんの大ベストセラー『公立高校教師YouTuberが書いた一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』を読めば1発で理解できるので引用したいと思います。
たった2代の間で天国から地獄へ
「フランス革命」とは、フランスのルイ16世の王政が民衆によって打倒され、王のいない共和政に移行する一連の事件を指す言葉です。
ひと言で「王政が民衆によって打倒され」というものの、考えてみると、ルイ16世の少し前の王は「太陽王」のルイ14世です。
かたや絶対君主として権力の絶頂にあったルイ14世と、かたやフランスの民衆の前に引きずりだされ、ギロチンによる公開処刑にあったルイ16世。
たった2代の間で、フランスの王朝は、まさに天地がひっくり返る激変に襲われたということなのです。
ルイ16世が王位に就いたフランスは、大変な財政難にありました。
ルイ14世時代のヴェルサイユ宮殿建設などのぜいたくと多くの対外戦争に加え、ルイ16世自身もアメリカ独立戦争へのアメリカ出兵などを行い、財政は底を尽きかけていました。
こうした財政難を解決するため、民衆へ増税をしようと考えるのですが、平民に対する重税は限界に達し、もうこれ以上絞れないというところまで追い込まれます。
新たな財源は、それまで「特権階級」として税を免除してきた聖職者や貴族階級に税をかけるしかありません。
当然、聖職者と貴族は反発します。
国王に文句が言いたい両身分は、ルイ13世以来停止されていた三部会の開催を要求。
ルイ16世は受け入れて三部会の開催を決めます。
そうすると今度は、三部会で今まで重税をかけられてきた平民(第三身分)と、税が免除されていた聖職者(第一身分)と貴族(第二身分)との対立という構図になります。
第三身分の離脱
三部会での議論は、もちろん並行線です。
第一身分や第二身分である聖職者や貴族は税を払いたくないし、第一身分や第二身分に税を払わせたいという第三身分の平民の間で膠着状態になり、話し合いは財政問題よりも「どのように議決するか?」という決め方をめぐって揉めに揉めました。
ここで第三身分が動きます。
三部会を離脱して、新たに自分たちを「国民議会」と名乗ろうとしたのです。
ルイ16世は、自分の前で第三身分が勝手な動きをすることを許さず、議場から締め出してしまいます。
第三身分は「会議はどこでだってできる」と、球戯場(テニスコート)に集まり、そこを議場として国民議会の成立を宣言。
自分たちの手による憲法制定まで解散しないというテニスコートの誓いを行うのです。
第一、第二身分の中にも、この議会に同調する者が出ました。
第三身分の動きは武力を伴った「革命」となった
ルイ16世は第三身分の勝手な動きに対し、武力で弾圧しました(ルイ16世自身は「お人よし」な面があり、国民議会を承認しますが、王妃マリ=アントワネットや貴族の強硬派は強力に弾圧を勧めたのです)。
これに対し、民衆は実力行使に出ます。
幾多の政治犯を収容し、圧政の象徴だったバスティーユ牢獄を襲撃したのです。
牢獄を占領するという行為は「自分たちを牢獄にぶち込むことはできないぞ!」と、反権力の宣言をしているということです。
また、要塞化されていたバスティーユ牢獄には武器弾薬が蓄えられており、まずは武器を確保したいという民衆の作戦でもあります。
そして国民議会は「正義は我にあり」とフランス人権宣言を発表し、「自由と平等、そして国民主権」の国づくりを目指したのです。
頂点に達した「主婦」の怒り
バスティーユ牢獄が襲撃され、パリに革命の火の手が上がり、いたるところで軍と民衆が戦闘状態に突入します。
パリではこの混乱と前年の不作により、民衆の食料が十分ゆきわたらなくなってきました。
怒った数千人の「オバちゃん」たちが徒党を組んでヴェルサイユ宮殿に押し寄せ、「パンをよこしなさいよ!」「混乱の責任をとりなさいよ!」「ヴェルサイユなんかに引っ込んでないでパリに来なさいよ!」と言い出し(ヴェルサイユ行進)、ルイ16世とその一家はパリに連行されてしまいます。
この事件ののち、ルイ16世一家は、パリ市民の監視下に置かれます。
逃亡によって国王の信頼が失墜
さらに、ルイ16世一家の立場を悪くする事件が起きます。
それが、彼らの逃亡未遂事件です(ヴァレンヌ逃亡事件)。
国王一家が変装し、偽名を使って王妃マリ=アントワネットの実家のオーストリア領を目指して逃亡。
途中、ヴァレンヌという町で逮捕されました。
この事件を境に、民衆の国王への気持ちが変化していきました。
革命当初、民衆は王を本気で倒したいと思っていたわけではなく、王が聖職者や貴族の特権をおさえて、自分たちの権利を認めてくれさえすればよかったのです。
ところが、王が国を捨てて逃げたことで、もはや王に統治をする能力も意欲もないことが明るみになってしまったのです。
民衆の王に対する気持ちは「信頼から失望」へ変化し、国民議会は憲法を制定して王の権利に大幅な制限を与えました。(中略)
「王のいない」フランスの誕生
苦戦を続けるフランス革命軍の危機に、フランス全土から義勇軍が駆けつけます。
このとき、義勇軍が歌ったのが現在のフランスの国家『ラ・マルセイエーズ』です。
歌詞には「残酷な敵が我らの息子や妻の喉をかき切って殺そうとしている。そいつらを倒して血を我らの畑に飲ませよう!」などと、過激な表現が使われています。
勢いを取り戻した革命軍は、宮殿を襲って王権を停止し、王を監獄に送り、共和政の樹立を宣言します(8月10日事件)。
そして、プロイセンの正規軍にヴァルミーの戦いで勝利します。
王がギロチンで公開処刑
王権の停止とともに男子普通選挙が行われ、新たな議会である国民公会ができました。
国民公会は王政の廃止と共和政の樹立を宣言し、ここに、フランス史上初の「王のいない状態」、第一共和政が成立します。
そして、ルイ16世と王妃マリ=アントワネットは民衆の前に引き出され、ギロチンによって公開処刑されるのです。(後略)
【フェイクヒストリーの横流し】
山崎圭一さんのフランス革命の解説はだいたいこのような感じです。
アカデミックな世界に身を置く学者や教育関係者たちは「うんうん、そのとおり」という感じで大満足な内容だと思われます。
しかし、大変残念ながら、フランス革命の真相はこのようなものではまったくないんです。
山崎さんをはじめとする歴史の先生たちは、世界を裏から支配する秘密結社、フリーメーソンが捏造したフェイクヒストリーを鵜呑みにし、横流しにしているだけです。
次の記事からフランス革命の真相に迫っていきます。
最後までお読みいただきありがとうございます。感想をいただければ励みになります。
以下の目次に記事をまとめたので、興味がある方は併せて読んでみてください。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。